読書会〜11/7(土)セミナー「読めば分かるは当たり前…ではなかった!」に向けて〜
犬塚美輪先生を迎えたオンライン読書会を開催しました 9月12日(土)、犬塚美輪先生の著書『読めば分かるは当たり前?』を読むオンライン読書会を開催しました。 今回の読書会は、11月7日(土)に東京学芸大学附属小金井小学校で開催する、こがねい国語セミナー「『読めば分かるは当たり前』ではなかった!?」に向けたタイアップ企画です。当日のセミナーでは、認知心理学の知見を手がかりとして、説明文と物語の二つの授業を公開し、本学の犬塚美輪先生を講師にお迎えする予定です。 申し込みはこちら! 11月7日土曜日 こがねい国語セミナー「読めば分かるは当たり前?ではなかった!?」開催のお知らせ[9月12日土曜日 読書会あり!] 東京学芸大学附属小金井小学校国語部では、2026年11月7日(… 読書会には、公立小学校の先生方を中心に、学校司書、大学院生、大学生、本校の教員など、多様な立場の方々が参加しました。国語教育だけでなく、算数や理科、学校図書館など、それぞれの立場から「読むこと」を考える場になりました。 以下、読書会の記録になります。 「読めない」の背後には、何があるのか 読書会を通して繰り返し話題になったのは、子どもを単純に「読める子」「読めない子」に分けることの危うさでした。 教室にいると、私たち教師には、子どもが答えられたか、感想を書けたか、発言できたかという結果が見えます。しかし、その結果に至るまで、子どもの頭の中で何が起きているのかは簡単には見えません。 読解には、文字を認識する、語をまとまりとして読む、語の意味を理解する、文の構造を捉える、文と文をつなぐ、文章全体を整理する、既有知識と結び付けて状況を思い描く、といった多くの段階があります。 そのため、同じ「書けない」という姿でも、つまずきは異なります。 一音ずつ読むことに負荷がかかっている 語は読めても、それが指すものをイメージできない 文ごとの意味は分かっても、文章全体がつながらない 書かれていることは分かっても、知識や経験と結び付かない 状況は理解していても、どの言葉を根拠にしたのか説明できない これまで「想像力が足りない」「行間が読めない」と一括りにしてきた子どもの姿を、読解過程に即して、より細かく見取る必要があるのではないか。そのことが、参加者の共通した問題意識になりました。 「一度読んだ...